3週間に1度、訪れてしまう床屋。
奥様の「また行くの?」という呆れ顔にも懲りずに頻繁に通ってしまうのは、
ジャカルタの床屋の値段は安いというのもあるし、
20分足らずで切り終える手軽さもあるし、
現地の言葉が話せず、“世間話をしなければ”という、わずわらしさがないからかもしれない。
何より、中学生のように刈り上げると気分が良いのだ。
小学生の頃は近所の床屋に通っていて、ほぼ丸刈りにされていた。翌日、友達からイジられるのが億劫だったのを思い出す。
同時に、授業で「最近、心に残った出来事を作文にしましょう」というお題があって、大したイベントもなかった僕は、たんたんと床屋へ行ったことを作文に書いたことも。
中学生になると、髪を伸ばし始めたのだが、自分が極度の天パであるということが発覚。毛先を遊ばせる青春時代から一線を置くことに。
大学生になると、友人の紹介で原宿の美容院デビュー。様々な髪質の方をカットできるようになりたいという美容師の見習いの方を紹介してもらい、無料でカットしてもらえることに。(様々な髪質という意味において、僕の髪質は極端な部類に入ったであろう。)
2000円分の薬剤費を払えば、カラーリング、ストレート、パーマ等をしてもらえました。今思えば、地肌のことを考えてやらなければよかった。典型的な若気の至りである。
予約していても美容院は何かと待ち時間が長い。特に、カット以外のコースだと尚更である。
待ち時間に美容師さんが気を利かせて持ってきてくれるのが、普段、まず読まないハイソな雑誌たち。数ある雑誌からよく選んでいたのがPOPEYEである。
POPEYEを「ポップアイ」ではなく「ポパイ」と読むということを知ったのは、恥ずかしながらつい最近のこと。心の中だけでなく、口で発していたとしたら恥ずかしいことこの上なし。
ジャカルタに来てから、原宿の美容院に通うこともなくなり、当然、“ポパイと読む雑誌”に目を通すこともなくなった。
とある週末、ウェブページを巡回していると、マガジンラックに立てかけられたPOPEYEの写真が急に目に飛び込んで来たのであった。
美容院のちょっぴり恥ずかしくも懐かしい感情とジャカルタ生活における日本語への飢餓感がトリガーとなり、POPEYEを自発的に読みたいという衝動に駆られることに。
アマゾン・プライム会員だとキンドル・アプリでPOPEYEを無料で読める。思い立った時にすぐに読めるなんて、便利な世の中である。
ひさびさに熱中して読みふけてしまえる。
写真が、言葉が、デザインが、
なんとも読んでて心地よい。
紙媒体でペラペラとめくりながら読みたいと思い、ジャカルタ・プラザスナヤンの紀伊国屋へ。
家で紅茶を飲みながら、お気に入りの雑誌を読む。
これだけで大満足な週末になるのだから、生きてるだけで儲けものというものです。