旅行や日常の記録としての写真であればスマートフォンで十分だ。
由緒あるクラシックホテルでの豪華な朝食、鎌倉散策で偶然見つけた洋食屋のスープカレー、食べる前にスマートフォンで思わず撮りたくなってしまうものだ。
更に綺麗な写真を追い求めるのであれば、APS-Cやフルサイズセンサー搭載のデジタル一眼レフカメラが候補にあがってくるだろう。
暗所での耐性に関してはスマートフォンより一眼レフカメラに軍配があがるのは素人目線でも明らかだ。普段の何気ないベランダからの夜空も綺麗に映るだろう。
スマートフォンにしろ、一眼レフにしろ、一度機材を揃えてしまえば、ランニングコストはほぼかからないと言っていい。撮影した写真をその場で確認することができるし、なんならその場で気が済むまで撮影することもできる。
この便利な状況に慣れてしまうと、一昔前のフィルム写真機をあえて使う理由は見当たらないように思えてくる。
暗所には弱いし、フィルム代や現像代のランニングコストはかかるし、現像の出来具合はカメラ屋に委ねられる上、数日後に受け取るまでわからない。
今のご時世、率先してフィルム写真機を使う理由を見つけるのはむずかしい。
不完全なフィルム写真
誰でも簡単に綺麗に写せるようになり、キリッと、パキッと写った写真がSNS上に溢れる令和の時代。人の感性とは不思議なもので、それが次第に日常になってくると、焦点がボケた、アンダー気味な、どこか不完全なフィルム写真が不思議なことに無性に気になってきてしまうのだ。
デジタルとは異なる化学反応で表現するゼロイチの中間の世界。それは割り切れない現実の世界の映し鏡でもあるから惹かれてしまうのかもしれない。
フィルム写真機としてのライカM-A
フィルム写真の歴史は古く、そのフィルム写真機のレパートリーもピンキリだ。
最初はフジフィルムの使い捨てカメラ「写ルンです」で十分楽しめるかもしれないし、大半の中古のフィルムカメラは手軽な価格で大いに迷う。
僕はフィルム写真機として最初にして最後の一台になるであろう新品のライカM-Aを購入した。理由は別の記事に預けることにして、半年間使い続けた使用感を述べたい。
カメラ本体の重量は578グラム。一日中肩からかけていると肩は凝るが、それに懲りることなく、横浜へ出かけるたびに持ち出している。
ライカM-Aは真の機械式カメラであり露出計が付いていない。セットしたフィルムのISO値をもとにシャッタースピード、絞り値を自分で決めていく。
変数が2つあると設定が複雑になってしまうので、僕の場合はシャッタースピードを1/250に固定して、ISO100のフィルムの場合、快晴だとf/11、曇りだとf/4といった具合に、周りの明るさに応じて絞り値を決めている。
暗いシーンでは「覚える露出計」というアプリを使って設定の確認を行なっているが、心配せずにのびのびと撮影する方が大事だなと思っている。
購入前に一番心配していたのはフィルム装填。「M型ライカの教科書」という本に詳しく解説が記載されており、問題なくフィルムを装填することが出来た。今では撮影前の儀式として楽しみのひとつだ。
心配していなかったのにたびたび頭を抱えてしまいそうになるのが、レンズキャップをしたまま撮影してしまうこと。
ライカM-Aはレンジファインダーカメラであるため、レンズキャップを装着したままファインダー越しの景色が見える。そして、レンズキャップ装着の状態に気付かぬまま撮影してしまい、現像後に真っ白な写真が出てきて自身の失態に気づくことになるのだ。
失敗写真さえも愛おしいのがフィルム写真の特徴でもある。
フィルム写真の出来栄えはカメラ本体の性能よりも、レンズ、フィルム、現像具合のファクターの方が大きいかもしれない。だから最初の1台として、機能が絞り込まれた機械式のしかも高級なライカM-Aを手にする選択肢は普通ではないだろう。
しかし、だからこそ他のカメラに目もくれることなくフィルム写真に向き合えていると僕は考えている。
もし最初の1台として初心者向きのフィルムカメラを買っていたら、フィルム写真を撮りたいという本来の目的そっちのけで、今頃中級者向け用のカメラ選びに夢中になっていたかもしれない。
これからの日常に寄り添う一生モノのカメラだからこそ最初の1台としてもライカM-Aはありだと思う。